2007/09/24
豊かな日本の子育ては
昨日は義母&義妹ちゃん一家が我が家に来てくれ、みんなでご飯を食べました。息子は大好きな従兄弟ゆうすけと、従姉妹まいちゃんと遊んで大喜び。息子は、「ゆうすけ、だっこぉ〜」と両手を広げて、何度も何度も5歳のゆうすけに抱っこしてもらってました。
義妹ちゃんとあれこれ話しててビックリしたのが、今はもう幼稚園生でもゲームが浸透してるのね〜ってこと。テレビゲームはもちろんDSとかね、小さい子でも持ってるもんね。
ゆうすけ君は、幼稚園は年中さんなんですが、幼稚園が終わった後、義妹ちゃんは仲良しの友達と持ち回りで、子どもを預かって遊ばせるってのをやってるんだって。
今日は幼稚園の後、A君宅で、B君とうちのゆうすけを夕方まで預かってもらう、明日はB君宅で、その次は義妹ちゃん宅で皆を・・・みたいに。暑い時期は外遊びも大変なので、気の合うグループではこういうのっていいよね、と。
でも、とうとうゆうすけが、A君宅でテレビゲームを体験しちゃって、その後「またゲームできるかなぁ〜」って言い出したんだって。義妹ちゃんちは、ゲームなどをさせるのは、極力遅くさせたいと思ってるのね。もちろん、可能ならばやらせたくないみたい。でも今のご時世、なかなかそれも難しい。
義妹ちゃんは「小学生くらいになれば、友達経由でゲームが入ってくるのも覚悟しなきゃ、と思ってたけど、まだ幼稚園なのにってビックリした」と言ってました。そして「今の子って、そんなに早くからゲームだの色んなオモチャを与えてもらって、じゃあ小学生になったら何に感動して夢中になるの?って思っちゃう」と。
そう!!
これはすごく分かるんだ。
今って、小さいうちからゲームもパソコンも、複雑で高級なものが溢れてるもんね。自分の中から湧き出る想像力を使って遊ばなくても、もっとすごい刺激は簡単に手に入る。
これは前にも書いたけど、世界一周後に帰国した時のカルチャーショックとして私は痛感したんですね。モノのない途上国中心に過ごした日々で、私は「あれが欲しいな、こういうのがあればいいのに、あれがしたい、これがしたい」って、自分の中から湧き出る「本当に自分が求めているもの」を感じることができたんですね。
で、帰国してビックリ。ショップに行けば、自分が欲しいと思っていた以上の、あらゆる種類のあらゆる商品が陳列されてて圧倒しました。私、こんな世界で住んでいたのか!って。
私の小さな欲望なんて、都会のショップエリアではかき消されました。
私は何も考えなくていいんだ。もっと素敵でハイセンスな商品が無限に並んでるんだから、それを見て、いいと思ったのを買えばいいんだよ。
自分の欲しい物は、自分の中から湧き出るのではなく、外部の情報によって明確になっちゃうのです。
そうか、これが「モノが溢れて豊かになると、受け身になる。無気力になる」ってやつか!と思ったんですね。「今の日本の子どもは、生きる力が奪われてる」ってコピーもよく目にするけど、これだな、と。
別に子どもに限らず、大人たちだって、相当受け身だし、生き生き活発なエネルギーに欠けた人が多い。でもそれには無意識な人が多いと思う。私だって逆カルチャーショック体験して始めて気付いたんだもん。自分が受け身になってることに。
私は高校生を進路指導する仕事してたんですが、その時も、自分のしたい事が分からないで無気力になってる生徒なんてゴロゴロいて、全然珍しくなかったもんね。情熱もって「これがやりたい!」ってキラキラしてる子が居ると「今でもこういう子、いるんだ」と感動したりね。
日本みたいにここまで豊かになると、子育てするのが逆に難しい。心を育てて行くのが難しいって、最近はあちこちの育児情報で目にしますが、義妹ちゃんの話をキッカケに、これからうちも、息子の成長と共に直面するんだな〜と感じました。
この問題って、「子育てどうしよう」と同時に「私はこの社会でどういう風に生きよう」に繋がると思うんですね。自分の生き方は、つまり子育ての仕方だと思うので、もうちょっとあれこれ考え巡らす課題にしようと思います。
今はまだ、漠然としてて見通せてない感じ。でも何か自分にとって引っ掛かりのある大事なテーマな予感がするのです。
義妹ちゃんとあれこれ話しててビックリしたのが、今はもう幼稚園生でもゲームが浸透してるのね〜ってこと。テレビゲームはもちろんDSとかね、小さい子でも持ってるもんね。
ゆうすけ君は、幼稚園は年中さんなんですが、幼稚園が終わった後、義妹ちゃんは仲良しの友達と持ち回りで、子どもを預かって遊ばせるってのをやってるんだって。
今日は幼稚園の後、A君宅で、B君とうちのゆうすけを夕方まで預かってもらう、明日はB君宅で、その次は義妹ちゃん宅で皆を・・・みたいに。暑い時期は外遊びも大変なので、気の合うグループではこういうのっていいよね、と。
でも、とうとうゆうすけが、A君宅でテレビゲームを体験しちゃって、その後「またゲームできるかなぁ〜」って言い出したんだって。義妹ちゃんちは、ゲームなどをさせるのは、極力遅くさせたいと思ってるのね。もちろん、可能ならばやらせたくないみたい。でも今のご時世、なかなかそれも難しい。
義妹ちゃんは「小学生くらいになれば、友達経由でゲームが入ってくるのも覚悟しなきゃ、と思ってたけど、まだ幼稚園なのにってビックリした」と言ってました。そして「今の子って、そんなに早くからゲームだの色んなオモチャを与えてもらって、じゃあ小学生になったら何に感動して夢中になるの?って思っちゃう」と。
そう!!
これはすごく分かるんだ。
今って、小さいうちからゲームもパソコンも、複雑で高級なものが溢れてるもんね。自分の中から湧き出る想像力を使って遊ばなくても、もっとすごい刺激は簡単に手に入る。
これは前にも書いたけど、世界一周後に帰国した時のカルチャーショックとして私は痛感したんですね。モノのない途上国中心に過ごした日々で、私は「あれが欲しいな、こういうのがあればいいのに、あれがしたい、これがしたい」って、自分の中から湧き出る「本当に自分が求めているもの」を感じることができたんですね。
で、帰国してビックリ。ショップに行けば、自分が欲しいと思っていた以上の、あらゆる種類のあらゆる商品が陳列されてて圧倒しました。私、こんな世界で住んでいたのか!って。
私の小さな欲望なんて、都会のショップエリアではかき消されました。
私は何も考えなくていいんだ。もっと素敵でハイセンスな商品が無限に並んでるんだから、それを見て、いいと思ったのを買えばいいんだよ。
自分の欲しい物は、自分の中から湧き出るのではなく、外部の情報によって明確になっちゃうのです。
そうか、これが「モノが溢れて豊かになると、受け身になる。無気力になる」ってやつか!と思ったんですね。「今の日本の子どもは、生きる力が奪われてる」ってコピーもよく目にするけど、これだな、と。
別に子どもに限らず、大人たちだって、相当受け身だし、生き生き活発なエネルギーに欠けた人が多い。でもそれには無意識な人が多いと思う。私だって逆カルチャーショック体験して始めて気付いたんだもん。自分が受け身になってることに。
私は高校生を進路指導する仕事してたんですが、その時も、自分のしたい事が分からないで無気力になってる生徒なんてゴロゴロいて、全然珍しくなかったもんね。情熱もって「これがやりたい!」ってキラキラしてる子が居ると「今でもこういう子、いるんだ」と感動したりね。
日本みたいにここまで豊かになると、子育てするのが逆に難しい。心を育てて行くのが難しいって、最近はあちこちの育児情報で目にしますが、義妹ちゃんの話をキッカケに、これからうちも、息子の成長と共に直面するんだな〜と感じました。
この問題って、「子育てどうしよう」と同時に「私はこの社会でどういう風に生きよう」に繋がると思うんですね。自分の生き方は、つまり子育ての仕方だと思うので、もうちょっとあれこれ考え巡らす課題にしようと思います。
今はまだ、漠然としてて見通せてない感じ。でも何か自分にとって引っ掛かりのある大事なテーマな予感がするのです。
そうなんだよね。物にあふれていると気力がなくなるのわかるなあ。私たちが子供の頃は欲しくても買えない物や大体おもちゃ自体が今みたいなハイテクな物じゃなくてお人形遊びだったり、おままごとだったりしたから創造性があったんだよね。ゲームは自分で考えるんじゃなくて与えられた情報を処理していくだけでしょ。だから自分で考えて何かをやることができなくなっちゃうんじゃないかなあ。
私も日常生活していて、沢山の物に囲まれて、情報に流されて生きているなあと思っています。自分が本当に必要な物が欲しいのではなくて、周りの情報やメディアによって欲しくもないものを欲しい気持ちにさせられているなあって。だから自分にとって何が本当にやりたいことで、欲しいもので、どう生きたいのかって自分でちゃんとわかるって難しいよね。
先進国でないところを自分で旅したり、あと、私がやってる山って、凄く色んなこと考えると思います。何もないところのほうが純粋に‘生きる’って言うことを考え感じられるような気がします。なんだろう。どういったらいいのかよくわからないけど、大袈裟に言えば人類が生まれてからずーっと持ち続けている動物の本能というか、感というか、そういうのが働かせられるのかなあ?
だから、やっぱり、今の都会に住んでいる私たちは意図的にでも何もないところでただそこにあるものを感じる機会を持つのが必要ですよね。虫の声を聞いたり、沢山の星を眺めたり、朝日を見たり、夕日を見たり。こういうのって都会で生活していると見過ごしてしまうんですよね。
ころんさんは旅の途中どんなものが欲しいって感じたんでしょうか?
タイムリーな問題提起をありがとう。ころんたん。
実は長野を旅してきまして・・
正にこの問題について考えに考えてきた所。
本当の豊かさって「物があること」じゃないよね?
何もないところから、何かを生み出していくことが
人間の力になるんだよね。
古来日本人はそういう事が一番得意だったはず。
欧米人にとっちゃー、大したもん、食ってない
猿みたいな人間が、どうしてこんな力を発するのか?
どうして、こんなに手仕事が上手なのか?
それは全て自然の中に答えがあったんだよね〜。
戦争で、日本は色んなものを失ったけれど
一番大きな問題はここなんじゃないかと・・
つまり「スピリット」なんじゃないかと思うんだよね。
テレビも新聞もない宿でたった3日間だったけど
本当色んな事を考えさせられたよ。
宿にいた園舎を持たない幼稚園児たちは
目をキラキラさせて、火をおこし、パンを焼いていたよ。
うちの幼稚園年中の息子は今まさに「DS欲しい〜」の欲望の塊。なるべく遅く・・と思っていますが、どうなることやら。共通のものを持つことで子供同士の連帯感がはぐくまれるのも事実。私はこれからも悩み続けると思います。息子はあきらめてDSを段ボールで手作りしています。小学生までは頑張ってもらいます。
祖父母の家には本当にものがなかったけれど、必要なものはちゃんとあって、すがすがしく生活していたのを思い出します。無ければないで、家にあるもので工夫してしのいでいました。その発想が奇想天外でなるほどなあと思っていました。ゲームやおもちゃなかりではなく生活の中でそんなおもしろさを自分も子供に見せていきたいと思っています。
子どもだけじゃなく、大人全体がね。だから、なっかなか難しいな〜と。自然に触れる機会はすごく大事だと感じます。
山とか、ワイルドな旅にでも出なければ、人間としての生きる本能が自分の中にあるってことには、気付かないし、気付く必要もないのが今の社会かもしれませんよね。
私は旅先で欲しいと思ったのは、実に細々した日用品とか、洋服とか、そういう身の回りのものが中心でした。こんな文具があれば便利なのに・・・こんなデザインで性能の靴があればいいのに、こういう素材のあれが欲しい、これを作業するのに、こういったああいうものが欲しい・・・・などなど。
モノがない時代には、そうやって「これがあればいいのに」と想像力を働かせてあれこれ考える人がたくさんいたんでしょうね。だからここまで日本は便利な商品で溢れかえるほどになったんですね。
行き着く所まで行った日本は、これから新しい局面なんだろうなと感じます。
>よしこたん、野性味ある自然の中で火をおこしたりパンを焼いてって環境に行くと、考えさせられたことでしょうね〜。
ここまで物質的に豊かになっちゃったので、その弊害も出ているのでしょうね。生み出して行く力こそ、生き甲斐に近いと思うんだけど、そういうのを見つけるのがとても難しい時代かもね。
は〜〜・・・うちも、もっと休暇をとって自然の中で過ごす時間を増やしたいなぁ〜。
>おくおくさん、DSを段ボールで!素晴らしい〜〜!そういう工夫って、DS買ってあげてたらなかったでことでしょう。
でもね〜、これからどんどんゲームで連帯感を強めるだろうし、難しい時期になりますね。
祖父母さんたちの家でのすがすがしい生活・・・伝わります〜。そういうのを子どもに伝えたいって思っちゃいますね。